バレンシアガの歴史

創業者であるクリストバル・バレンシアガ(Cristobal1Balenciaga)氏は1895年、スペインのバスク地方の港町、ゲタリアに生まれました。幼くして縫製の技術を身に着け、1915年、20歳でスペインに店を開きます。若くして人気を得ましたが、36年にスペイン内乱が起き、やむなくパリに移住したのです。 1937年、パリのジョルジュ・サンク通りに店をオープンしたバレンシアガは、立体的な裁断に冴えを見せ、第2次世界大戦後のパリファッション界で「クリスチャン・ディオール」と並び称されるビッグメゾンとなりました。 コルセットや詰め物なしでも、美しいボディラインを演出するドレスが戦後、行動的になった女性たちに評価されました。ディオール氏はバレンシアガ氏のことを「われわれ全員の師」と呼んで讃えたのは有名な話です。 しかし、プレタポルテの台頭に押される中、1968年に突然オートクチュールから撤退。「プレタに乗り出すには、あまりにもクチュールを知りすぎた」という有名な言葉を残してデザイナーから引退したのでした。その4年後の1972年に死去。極端なマスコミ嫌いで、謎に包まれた生涯でした。現在グッチ・グループの傘下

バレンシアガ デザイナー

ニコラ・ゲスキエール(Nicholas Ghesquiere)